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バンドとか、グループモンの解散についての考察。

  私事にて恐縮であるが、メジャーデビューを目指して活動していた息子の所属するバンドが突然解散するとの発表があり、かなり面くらった。彼らを中学、高校時代から見て来たワシにとって、月並みな表現で恐縮だが、まさに晴天の霹靂、外は2013年9月の台風13号の只中ではあるのだが。この解散騒動の4ヶ月ほど前、バンド設立当時よりメンバーであったベーシストが脱退した。この時すでに嫌な予感はしたのだが、その嫌な予感は現実となって起こってしまった。 ベーシストの脱退後、彼らは共同生活を始めた。これも嫌な予感が迸ったのだが、我々が口を挟む内容では無かろう。   良くバンドなどグループのの解散時判で押したように聞く言葉がある。 「音楽性の不一致」とか「音楽の方向性の違い」とかね。どれだけ音楽の才能があるのだか、素人のワシらには知る由もない。だけどな、学生時代のサークルみたいな考え方って通用しないt思うんだ、インディーズとはいえ、音楽事務所に所属し、プロの端くれとしてチケット売って音楽やって、多くのスタッフの面々に支えられ、それを由としてライブに足を運ぶオーディエンスが居て、先輩や後輩たち、ライバルたちが居て、もはやバンドは自分達だけのものでは無い所まで育ってしまっているのに、方向性の違い?君達の紡ぎ出す音楽を聴いて涙したオーディエンスを置き去りにして、音楽性の違い?なら最初からバンドなんかやらんでソロでやりゃあイイじゃんね?育った環境も様々で違う人間同士、同じ屋根の下生活をするなんて諸行はね、高校野球やらのスポーツ全寮制なんかの人間に教わるといい。彼らが何を目標としているか?その為に皆、血の滲むような努力をして、しかもレギュラーになるのはほんのひと握り。そんな中、方向性の違い等を主張する人間はいるのだろうか? 会社などの組織だった場合、所属する部署の上司の態度や言動が気に入らなかった場合、方向性の違いで会社を去るべきなのだろうか?そんな自分勝手な行動は社会では通用しないのである、バンドを一生懸命応援し、その音楽そのものを支持してきたオーディエンスに自分達の音楽性の違いってのをなすりつけるべきなのだろうか?お前らの志ってそんな簡単に捨て去れるモンだったのか?オーディエンスは一生懸命そのバンドの屋根に登るのだが、その梯子をバンド自身に外されてしまった格好なのである。オーディエンスは自分だけで